――ガシッ!!
――!?
「殺すかも知れない……」
俺の胸ぐらを掴み上げた速瀬の手が震える。
「それを……孝之に言ったら……私……」
押し殺した声。
「……慎二君を……殺すかも知れない……」
かみしめた口元が震え出す。
見開いた目には……涙が溢れそうだ。
「……速瀬」
わかってる……わかってるよ!
けど嘘のままでいたら、後で傷つくだけだ。
それは絶対……嫌だ。速瀬のそんな姿……見たくないんだ!
「言えないなら……孝之はやめとけよ」
「!!」
「つらいのは絶対お前だ!」
「わかってるっ!」
「わかってない! 考え甘過ぎだ!!」
「わかってるわよッ!!」
「……俺が全部言ってやるよ! 孝之に全部……」

――バシッ!!


 *


「あのバカ、今日も来なかったな」

正門をくぐると、冬の冷たい風が吹き抜けていった。
「そろそろ出席日数ヤバいころだな」
「……うん……そうだね」
「速瀬からも、もっと言ってやってくれよ」
「……うん」
孝之は涼宮の事故以来、殆ど学校に顔を出さなくなった。
「ねえ、卒業……どうなんだろ?」
「それ以前にかなりヤバイと思う……精神的に」
「……うん」
たまに会っても、孝之は笑わなくなった。
誰も見てない、何にも向かっていない。ただ、その場所にいるだけ。
けど、事故で変わったのは孝之だけじゃない。速瀬もそうだ……。
「……慎二君、これから忙しい?」
「どうして?」
「一緒に行ってくれないかな……」
孝之の部屋か。そうだよな、それが最近の速瀬の日課だもんな……。
「久しぶりに慎二君の顔見たら……少しはあいつ、元気出るかなって……」
「毎日毎日大丈夫かよ? 就職活動……厳しいんだろ?」
「ま、ね。でもぼちぼちやってるから……あははっ」
速瀬の変わったところのひとつ。その乾いた笑いは、もう聞き飽きた。
「ほんと、人生考えちゃうよね」
「何が?」
「水泳ばっかやってたからね。そのほかのことからっきしでさ……」
「何いってんだ。成績いいじゃないか」
「受験と就職は違うよぉ……色々あるのよね〜……はあ……苦労しちゃうわ」
それを本気で思ってるなら……まだいいけど。
――涼宮の事故。それは涼宮の全てを奪った一瞬の出来事。
人間って、こうも簡単に全てを失うのかと思う。
涼宮の事故は俺たちに、この日常は永遠ではない事をまざまざと見せつけた。
速瀬はそれを見て考えたんだ。自分の人生、水泳だけでいいのかって。
このまま鳴り物入りで実業団に行って、オリンピックを目指して水泳の道を突き進む。
けど所詮、記録、記録、記録…………どこまで行ってもそればっかり。
一度でも足を滑らせたら、その時点で終わるつぶしのきかない道。
好きだから続けていたはずの水泳は、いつしか自分以外の誰かのため、記録のためのものになった。
それでいいんだろうか? 
人生っていうものの貴重さを嫌というほど実感した速瀬なりの結論。
水泳の世界から身を引くこと。
卒業間近のこの時期に来て、とんでもないことだ。
だからこそ、速瀬はそれだけ真剣に悩み、その結論を出したんだろうって信じている。
――孝之だけは!
孝之だけは、それを信じて疑わない。
…………。
いや……どうなんだろうな。
あいつにはそんな話を聞いた記憶すらないかもしれないな。
ただ濁った目で時折オレを見ては、またどこかに視線を逃がしていた。
あいつを取り囲む全てのものが、あいつにとって空虚で……ただひとり暗闇の世界に放り出されたと思っているかもしれない。
……それはそれでいい。
少なくともその話が嘘だと気づかないのなら……いいさ。
お前に聞いた記憶がなかったら、何度でも言う。
お前が疑い始めたら、いくらでも嘘に嘘を重ねてやる。
……そう思っていたのに。
――そうさ!
……嘘なんだ。大嘘なんだよ! 速瀬が水泳を辞めた本当の理由は……
「ねえ? 行かないの?」
速瀬が足を止めてじっと俺を見ている。
……どうして、そう普通の顔してられるんだ?
「そうだ、途中で何か買ってってあげなきゃ」
……いるかどうかもわからないのに?
「きのうのご飯、ちゃんと食べてるかな?」
……食ってもらえるかすらわからない飯を作りに?
「もし部屋にいたら、ガツンと説教してやんなくちゃ!」
……毎日、毎日……。
…………。
「……これ以上は限界だと思う」
「そうだね。いい加減卒業も危な……」
「――速瀬、お前だよ」
「えっ……?」
「孝之が本当のことを知ったらどう思うか考えたことあるか?」
「……それは……言わない約束でしょ?」
「お前は孝之を立ち直らせようとしてるんだよな……」
「…………」
「でも、あいつが立ち直って涼宮以外の事を考えはじめた時――」
「…………」
「――お前の言い分を鵜呑みにするとでも思ってるのか?」
「それは……慎二君次第……じゃない?」
速瀬は目をそらす。
その表情は凍りついたようだ。
「俺、言うかもしれない……本当のこと……」
「――ちょっと!!! 話が違うっ!」
「それは俺のセリフだよ。孝之と速瀬、ふたりして泥沼まっしぐらじゃないかっ!」
「――!!」
嘘をつくことで速瀬は孝之の傍にいられる。支えてやれる。
孝之は速瀬の嘘を信じてさえいれば安心して俺たちと付き合える……そういうことじゃなかったか?
涼宮の事故で壊れかけた孝之のこころ。速瀬のこころ。そして俺たち3人の関係。
それを何とかつなぎ止めておけるから……そう思ったから、俺はお前の嘘を……孝之に信じさせたんだ。
それがどうだ!? 孝之は相変わらずで……お前だけが心の負担を増やし続けてるじゃないか!
「……いつになったら孝之は……お前の気持ちに応えてくれるんだよ!?」
「…………」
「もう、見てるの辛いんだよ……」
自分で言ったろう? 就職活動苦労してるって!
それでも、孝之の面倒見てやって……世話してやって……。
孝之のために、全てをなげうっているお前。……俺はただ見てるだけなのかよ?
お前の苦労を誰よりも知っているのは俺なのに!?
お前が水泳を止めた本当の理由を知っているのは俺だけなのに!?
お前の本当の気持ちをわかってるのは俺だけなのに……何もしてやれないのかよ!?
「……言うべきだ」
「やめて」
「本当のこと言ってわからせよう。孝之だけが苦しんでいると思うなって……」
「……やめて」
「速瀬の気持ちをわかってないんだあいつは! 言ってやれ! お前が水泳を辞めた本当の理由は孝之……」
――ガシッ!!
――!?
「殺すかも知れない……」


 *


……ッてえ……。
速瀬は俺を殴った勢いのまま膝をついた。
「……う……う……うぁぁあぁあぁ……」
そして両手で顔を覆い……嗚咽を押さえた。
「……孝之のこと……そんなに本気か?」
「……う……」
速瀬が静かに頷く。
「いつか……絶対仇になるぞ。話さなかったこと」
「…………」
「……覚悟の上なんだな?」
「……ん」
「嘘……つき通せるか?」
「……ん」
「わかった……この話はなかったことにしよう。俺は……言わない」
「……りが……と……」
ひとり嗚咽に肩を震わせている速瀬を、抱きしめることもできず空を見上げた。
結局、俺にできることは、速瀬の望みを叶えてやることだけだ。
それが速瀬にとってどんなに辛いことでも、速瀬が自分で決めた道を進めるように力を貸すことだけだ。
孝之……早く……気づいてやってほしい。
そして頼むから……速瀬の想いに……応えてやってほしい…………。


――ガシッ!!
――!?
「殺すかも知れない……」
俺の胸ぐらを掴み上げた速瀬の手が震える。
「それを……孝之に言ったら……私……」
押し殺した声。
「……慎二君を……殺すかも知れない……」
かみしめた口元が震え出す。
見開いた目には……涙が溢れそうだ。
「……速瀬」
わかってる……わかってるよ!
けど嘘のままでいたら、後で傷つくだけだ。
それは絶対……嫌だ。速瀬のそんな姿……見たくないんだ!
「言えないなら……孝之はやめとけよ」
「!!」
「つらいのは絶対お前だ!」
「わかってるっ!」
「わかってない! 考え甘過ぎだ!!」
「わかってるわよッ!!」
「……俺が全部言ってやるよ! 孝之に全部……」

――バシッ!!


 *


「あのバカ、今日も来なかったな」
正門をくぐると、冬の冷たい風が吹き抜けていった。
「そろそろ出席日数ヤバいころだな」
「……うん……そうだね」
「速瀬からも、もっと言ってやってくれよ」
「……うん」
孝之は涼宮の事故以来、殆ど学校に顔を出さなくなった。
「ねえ、卒業……どうなんだろ?」
「それ以前にかなりヤバイと思う……精神的に」
「……うん」
たまに会っても、孝之は笑わなくなった。
誰も見てない、何にも向かっていない。ただ、その場所にいるだけ。
けど、事故で変わったのは孝之だけじゃない。速瀬もそうだ……。
「……慎二君、これから忙しい?」
「どうして?」
「一緒に行ってくれないかな……」
孝之の部屋か。そうだよな、それが最近の速瀬の日課だもんな……。
「久しぶりに慎二君の顔見たら……少しはあいつ、元気出るかなって……」
「毎日毎日大丈夫かよ? 就職活動……厳しいんだろ?」
「ま、ね。でもぼちぼちやってるから……あははっ」
速瀬の変わったところのひとつ。その乾いた笑いは、もう聞き飽きた。
「ほんと、人生考えちゃうよね」
「何が?」
「水泳ばっかやってたからね。そのほかのことからっきしでさ……」
「何いってんだ。成績いいじゃないか」
「受験と就職は違うよぉ……色々あるのよね〜……はあ……苦労しちゃうわ」
それを本気で思ってるなら……まだいいけど。
――涼宮の事故。それは涼宮の全てを奪った一瞬の出来事。
人間って、こうも簡単に全てを失うのかと思う。
涼宮の事故は俺たちに、この日常は永遠ではない事をまざまざと見せつけた。
速瀬はそれを見て考えたんだ。自分の人生、水泳だけでいいのかって。
このまま鳴り物入りで実業団に行って、オリンピックを目指して水泳の道を突き進む。
けど所詮、記録、記録、記録…………どこまで行ってもそればっかり。
一度でも足を滑らせたら、その時点で終わるつぶしのきかない道。
好きだから続けていたはずの水泳は、いつしか自分以外の誰かのため、記録のためのものになった。
それでいいんだろうか? 
人生っていうものの貴重さを嫌というほど実感した速瀬なりの結論。
水泳の世界から身を引くこと。
卒業間近のこの時期に来て、とんでもないことだ。
だからこそ、速瀬はそれだけ真剣に悩み、その結論を出したんだろうって信じている。
――孝之だけは!
孝之だけは、それを信じて疑わない。
…………。
いや……どうなんだろうな。
あいつにはそんな話を聞いた記憶すらないかもしれないな。
ただ濁った目で時折オレを見ては、またどこかに視線を逃がしていた。
あいつを取り囲む全てのものが、あいつにとって空虚で……ただひとり暗闇の世界に放り出されたと思っているかもしれない。
……それはそれでいい。
少なくともその話が嘘だと気づかないのなら……いいさ。
お前に聞いた記憶がなかったら、何度でも言う。
お前が疑い始めたら、いくらでも嘘に嘘を重ねてやる。
……そう思っていたのに。
――そうさ!
……嘘なんだ。大嘘なんだよ! 速瀬が水泳を辞めた本当の理由は……
「ねえ? 行かないの?」
速瀬が足を止めてじっと俺を見ている。
……どうして、そう普通の顔してられるんだ?
「そうだ、途中で何か買ってってあげなきゃ」
……いるかどうかもわからないのに?
「きのうのご飯、ちゃんと食べてるかな?」
……食ってもらえるかすらわからない飯を作りに?
「もし部屋にいたら、ガツンと説教してやんなくちゃ!」
……毎日、毎日……。
…………。
「……これ以上は限界だと思う」
「そうだね。いい加減卒業も危な……」
「――速瀬、お前だよ」
「えっ……?」
「孝之が本当のことを知ったらどう思うか考えたことあるか?」
「……それは……言わない約束でしょ?」
「お前は孝之を立ち直らせようとしてるんだよな……」
「…………」
「でも、あいつが立ち直って涼宮以外の事を考えはじめた時――」
「…………」
「――お前の言い分を鵜呑みにするとでも思ってるのか?」
「それは……慎二君次第……じゃない?」
速瀬は目をそらす。
その表情は凍りついたようだ。
「俺、言うかもしれない……本当のこと……」
「――ちょっと!!! 話が違うっ!」
「それは俺のセリフだよ。孝之と速瀬、ふたりして泥沼まっしぐらじゃないかっ!」
「――!!」
嘘をつくことで速瀬は孝之の傍にいられる。支えてやれる。
孝之は速瀬の嘘を信じてさえいれば安心して俺たちと付き合える……そういうことじゃなかったか?
涼宮の事故で壊れかけた孝之のこころ。速瀬のこころ。そして俺たち3人の関係。
それを何とかつなぎ止めておけるから……そう思ったから、俺はお前の嘘を……孝之に信じさせたんだ。
それがどうだ!? 孝之は相変わらずで……お前だけが心の負担を増やし続けてるじゃないか!
「……いつになったら孝之は……お前の気持ちに応えてくれるんだよ!?」
「…………」
「もう、見てるの辛いんだよ……」
自分で言ったろう? 就職活動苦労してるって!
それでも、孝之の面倒見てやって……世話してやって……。
孝之のために、全てをなげうっているお前。……俺はただ見てるだけなのかよ?
お前の苦労を誰よりも知っているのは俺なのに!?
お前が水泳を止めた本当の理由を知っているのは俺だけなのに!?
お前の本当の気持ちをわかってるのは俺だけなのに……何もしてやれないのかよ!?
「……言うべきだ」
「やめて」
「本当のこと言ってわからせよう。孝之だけが苦しんでいると思うなって……」
「……やめて」
「速瀬の気持ちをわかってないんだあいつは! 言ってやれ! お前が水泳を辞めた本当の理由は孝之……」
――ガシッ!!
――!?
「殺すかも知れない……」


 *


……ッてえ……。
速瀬は俺を殴った勢いのまま膝をついた。
「……う……う……うぁぁあぁあぁ……」
そして両手で顔を覆い……嗚咽を押さえた。
「……孝之のこと……そんなに本気か?」
「……う……」
速瀬が静かに頷く。
「いつか……絶対仇になるぞ。話さなかったこと」
「…………」
「……覚悟の上なんだな?」
「……ん」
「嘘……つき通せるか?」
「……ん」
「わかった……この話はなかったことにしよう。俺は……言わない」
「……りが……と……」
ひとり嗚咽に肩を震わせている速瀬を、抱きしめることもできず空を見上げた。
結局、俺にできることは、速瀬の望みを叶えてやることだけだ。
それが速瀬にとってどんなに辛いことでも、速瀬が自分で決めた道を進めるように力を貸すことだけだ。
孝之……早く……気づいてやってほしい。
そして頼むから……速瀬の想いに……応えてやってほしい…………。



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