――ど、どうしよう……鳴海君がいるよ。
ここを通らないと音楽室に行けないのに……。早く移動してくれないかな? ……こっちにきたら、もっと困るけど。
逃げ道ないから、どうすることもできないよ。
……でも、あと少しくらいなら、そばに行きたいな。
廊下の窓を開けて、何をしてるんだろう。ここからだとよくわからない……。
足元を冷たい風が通り抜けた。
……あっ……。
窓の枠に手を掛けると、鳴海君はひょいっと身軽にサッシを飛び越えた。
上履きのままなのに……外に行っちゃった……。
ガラガラっという窓の閉まる音が聞こえてきた。
――ど、どこに行くんだろう。
みつからないように身をかがめて、外の様子を眺めると、背中はもうだいぶ小さくなっていた。
そろそろお昼休み終わっちゃうのに……。
午後の授業に遅れちゃう。
向こうに何かあるのかな?
遠くを眺めてみても、なだらかな坂道が続いているのが見えるだけ。あのまま進んでも林しかない。
どこかへの近道っていうのも考えられないし……学園から出ていっちゃいそう……。
なんだろう……すごく気になる……。
私も行ってみようかな?
――だめ、だよね。こんなところから出るわけにもいかないし、上履きだし……それに、あとをつけるみたいでいけない。
……でも、どうしよう……すごく気になる。
いっちゃおうかな……。
……誰も、見てないし……う、ううん、だめだめ。あと少しでチャイム鳴っちゃうんだから。
でも、やっぱり……気になっちゃうよ。
だめだってわかってるのに、手が勝手に動いて……。
――ガラガラ……。
……大丈夫、だよね。少しくらいなら……。
誰も……見てない…………うんっ。
荷物を先に外に出して……思いっきり勢いをつけて。
……んっ…しょっと
……鳴海君は簡単に乗り越えちゃったけど、これって、すごくたいへん。
「……きゃっ」
――どてん!
うぅ、いたいよぉ。
やだっ、制服汚れちゃったかな? ここの制服、白いから汚いのがすごく目立つのに。かわいいから好きなんだけど、それがちょっと困るところ……。
――そうだっ、鳴海君っ! 気づかれてない、よね?
周りを見渡して見ても、誰も見当たらない。
それは……そっか。こんなところに人がいるなんて誰も……それに鳴海君はもうあんなに遠くに…………。
……あ、あれ? どこ行っちゃったんだろう。
そんなあ……。
最初から見失っちゃうなんて……私ってどうして、こうドジなんだろう。
どっちに行ったのかな?
うぅ……どうしよう。わからない……。
あきらめて戻ろうかな?
でも、せっかく痛い思いもしたんだから。ここで引き返すなんて……。
少し探してみよう。さっき見たときは林のほうに行ったから、そっちに行けばみつかるはず。
チューリップの植えられた花壇を抜けると、林の中に消える白い影が見えた。
――あっ、あそこにいるの……鳴海君だ!
木々の隙間にチラチラと見えていた背中は、やがてまったく見えなくなった。
行っちゃった……。
今日は火曜日だから、みんな午後まで授業はあるはず。
どうするつもりなんだろう。チャイムまであんまり時間ないのに……。
……どうしようかな。戻らないといけないのに、鳴海君がどこに行くのか知りたい。
時間は……あと少しぐらいなら大丈夫かな……。
うん、もうちょっとだけ、行ってみよう。
校舎の影から出ると、南の空にあがった太陽がまぶしくて、ぽかぽかしてあたたかい。
でも、対照的に林の入り口はどこかおどろおどろしくて、童話に出てくる魔女の森を想像させた。
この先に何があるのか、私は知らない。
だけど鳴海君は知ってるんだ……。だから奥に進んでいった。
…………私も知りたい!
道標にするパンくずも、麻糸の玉もないけど、こ、怖くなんかないよっ。
林の中はひんやりとしていて、肌寒かった。
なだらかな上り坂が続いている。
ずーっと上まであるんだあ……。道を目で追うと、その奥にひときわ明るい場所が見えた。
急ぎ足で向かう……そこには草の絨毯が広がっていた。
怖いのは入り口だけだったんだ。中は案外開けていて、あたたかな陽射しも差し込んでくる。
色とりどりの花々が輝いていた。
――こんなところ、あったんだ……。
森の十二の月の精が大晦日にお祭りをするのは、こんな場所なのかもしれない。
……ちょっと狭いかな。
透き通った青空といっしょに眺めると、すっごく綺麗。
――ここを歩いてもいいのかな。
道とも言えない道が、更に奥まで続いている。
踏んじゃうの……かわいそうだし、なんかもったいない。
けど、鳴海君はここを上がっていったんだよね……。
……ここまで来たんだから、行こう。
足に地面の軟らかさが伝わってきた。
なだらかな坂がちょっとだけ続いている。
学園だって、頂上にあるのに……それより高い場所ってあったんだ。
……ふぅ、しんどいよ。
あと少しだから、がんばろう。
でも、なんだろう、この感じ。
悪いことしてるのに、ちょっとうれしいって思ってる。
すごくどきどきするけど、これはいやなどきどきじゃない……。
顔を上げると木々の向こうに、1本の大きな樹が見えた。
出口だ。もうちょっとだ、頑張ろう!
よいしょ……よいしょ……。
木々の終わり……それは陽射しの始まりだった。
何ものにも遮られない太陽の光が、私の全身を遠慮無く包み込む。
白光りする視界。大きな草の広場と、その中心にそびえる1本の大きな樹。
そしてその向こうには、広い空と青く霞がかった街の景色が広がっていた。
――すご〜い。絵本の中の風景みたい。本当にあるんだ……こういうの。
さっきからそんなことばかり。でも驚きだよ。
こんな身近なところに、あったんだ……。
もっと近くに行ってみたい。
……あ、あれ? 鳴海君がいない。どこだろう……。
うぅ、どうしよう。樹のそばまで行きたいけど、鳴海君にみつかったら困るし、時間もない……。
――でも、あそこまで行ってみたい。
あの幹に触れてみたい……。
そこからの景色を見てみたい。
絵本の中にしかないって思ってた場所があったんだから、きっと景色も綺麗なんだろうな……。
林の入り口をくぐってから、私は現実じゃない世界に足を踏み入れたんじゃないかと思う。
魔女の森、妖精がお祭りをする広場、そしてそして……ここは……なにかいい例えはないかなあ……。
誘惑に勝てなくて、足が1歩また1歩と進んでしまう。
鳴海君もいないみたいだし……うん、大丈夫。
――いってみよう。
なだらかな坂道を少しずつ進んでいく。遠くから見ても大きかった樹が、すごく大きく見えてきた。
――あと少し……。
訳もなくどきどきしてきた。ぎゅ〜って教科書を両腕で抱いていた。
急いだつもりはなかったのに、息が切れて……。
最後の1歩を大切に踏み出す。
――わあ……。
小高い丘の頂上にたどり着くと、涼しい風が吹いた。
視線を下ろすと、一瞬にして視界が広がった。
――きれ〜……。
私の住んでいる町の全部を見渡せた。あっちには橘町の青い海が広がって、向こうには欅町(けやきちょう)の白い砂浜がどこまでも続いている。
――すご〜い……。
綺麗で、小さくて、かわいくて……やさしい感じのする風景。
よく知ってる場所を、こんな風に見ることができるなんて。
吸い込まれてしまいそう。
気持ちいい。こんなのはじめて……。
すぐそばに、宝物はあったのに気がつかなかったんだ。
もっと前に知りたかった……。
でも、こうして出遭うことができて、ほんとによかったぁ。
――すごい、すごいよ、ほんと。
――キーンコーン、カーンコーン……。
……や、やだっ、どうしようっ!
授業始まっちゃった。
今から戻っても……うぅ、間に合わない。
でも、いかなきゃ!
なんて言い訳すればいいかな……あっ!
――どさっ。
いった〜い……もう――
「ん? ……慎二か?」
――!!
……どっ、どうしよう……鳴海君だっ!!
樹の陰になって見えなかっただけで、すごく近くにいたんだ。
みつかっちゃうよ。音、立てないようにしないと……。
でも、早く戻らないと、先生に怒られちゃう。
うぅ……どうしよう……。
「……ふう」
今思い出しても、どきどきする……。
――あのとき、けっきょく、さぼっちゃったんだよね。
授業さぼるのはじめてだったから、すごく緊張して、でもなんだか、少しだけうれしかった。
……だって、鳴海君の秘密の場所を知ることができたんだから……。
うれしいに決まってる。
幹に触れると、少しだけ冷たかった。
夕陽に赤く染まった景色は、ちょっと寂しく見える。
――もう、あれからずいぶん経ったんだ……。
町の色は変わったけど……私は少しも前に進めてない。
ここから鳴海君と同じ風景を見ることしかできない。
――好きです。
言えるはずないよ……。
心の中で言うのだって、こんなにどきどきするのに……。
鳴海君になんて……絶対にむり……。
「……好き」
うぅ……すっごく恥ずかしい。
どうしてこんなに緊張するんだろう。
「私……」
……だめって思ったら、ずっとこのままなんだから。
がんばらないと……。
「な、鳴海君のこと…………」
……やっぱり、この先は言えない……。
どきどきが止まらない。はぁ〜……これじゃ、告白なんて、無理だよね。目の前に鳴海君がいるって思うだけで……それだけで、言葉が出なくなっちゃうんだから。
何も言えなくなっちゃう。
どうすることもできないのかな。
ずっと、遠くで見てるしか……。
お話したり、一緒に帰ったり、お弁当食べたり……できないのかな。
――私じゃ、むりだよね……。
告白できても……断られるだろうし……。
鳴海君に迷惑だよ。
「はるかぁ〜っ!」
……あれ? 水月? ……あ! やだぁ、私、約束があったんだ。
言い出したの私なのに。
――でも、どうしよう。やめようかな。
水月にも迷惑だよね……。
「ごっめ〜ん。顧問に掴まっちゃってさ」
「う、ううん。私のほうこそ……ごめん」
場所は正門の前だったのに……。
約束の時間までちょっとあったから寄り道して……。
でも、とっくに過ぎてたんだ。
ここにくるときはいつもそう。気がつくと、たくさん時間が進んでる。
「それじゃ、お互い様ってことでね」
「うん」
「じゃ、帰ろっか」
「あ……うん……」
「なに? どしたの?」
1歩先を歩き出した水月が、足を止めて振り向いた。
「う、うん……」
「はっは〜ん……」
「な、なに?」
水月の目がじと〜って私を見てる。
「聞きたいんでしょ?」
「……え?」
「ハ・ナ・シ。で、今度は鳴海君の何が聞きたいって?」
――え?
「うふふ〜ん、とぼけたってダメだよ遙ぁ。顔に書いてるもんね」
あ……。
胸から首筋、そして頬が一瞬にして熱くなるのがわかった。
きっと私、顔真っ赤なんだろうな。こんなんじゃ、水月にばれちゃう。
「そうだなあ……いい機会だし、今日こそはいい加減ハッキリさせてもらおうかな」
「な、何を……?」
…………。
あ、さっきよりも水月の目がにやけてる。
嫌な予感がする……水月がこんな目をするときは……。
「さあ、白状しなさいっ! アンタ、鳴海君のこと…………好きなんでしょっ!?」
「きゃっ!」
水月の腕が私の顔を引き寄せた。
「えええええっっ!!? ど、どうしてっ!? 何でわかったの!?」
――あっ!
「あ、やっぱりそっかあ……そうなんだあ……」
あ、あ、あ……あの……その……えっと……。
言っちゃ……った……。
「耳たぶまで真っ赤にしちゃって、可愛いなあもうまったくー! よしよしそっかそっか」
水月はひとり納得したようで、嬉しそうな顔をしてる。
ううう……心の準備も何にもなしでこれは酷いよ〜。
そ、そりゃいつかはちゃんと言わなくちゃって思ってたけど。
「で? 彼のどこがいいの?」
「そ、それは……」
「そもそもいつから?」
興味津々な目で、矢継ぎ早に質問が浴びせられる。
「ほらほら、全部言っちゃえば楽になるよ?」
水月ってば、ドラマの見過ぎだよぉ。
そう簡単に楽になんか…………楽になんか……なるのかな?
今までも、何も知らなくても、水月は私の頼みを聞いて鳴海君のことを色々と教えてくれた。
これからは、もっといろんなことを教えてくれるかもしれない。
それに、ここまで私に協力してくれた水月に、ちゃんと言わないのはとっても酷いことだと思う。
いつかは言おうと思っていたんだし……。
「全部言ってくれれば、今まで以上に力になれると思うんだけどなあ〜」
「う……うん」
だけど、やっぱり言うのは恥ずかしい。今まで、こんなこと誰にも言ったことないから……。
でも、こういうこと言えるのは水月しかいないし……。
「はあ〜悲しいなぁ〜、私じゃ遙の力になれないのか……」
「うっ……ず、ずるいよ」
「私なんかじゃだめなのね〜」
「そ、そんなことないよっ!!」
…………。
「……わ、笑わない?」
「うん、うん!」
「本当に?」
「約束する!」
「だ、誰にも言わない?」
「……私はそこまで信用ないか……かなしいなぁ〜」
「ち、違う。そういうんじゃないの……」
すごく恐くて、不安で……だから、いろいろ言っちゃって……。
でも、いろんなこと考えて、それで水月になら話してもいいって思えたんだから。
いいんだよね……私、話しても。
水月ならちゃんと聞いてくれるよね。
「……私……ね」
「うん」
――どうしよう。またどきどきしてきた。
でも、話そうって決めたんだから、ちゃんと最後まで言わないと……。
それに、同じ景色を見ているだけは、もういやだから。
「私ね……」
「うん」
お話もしてみたいから……。
近くにいたいから……。
「……私」
笑顔を向けて欲しいから……。
いつか、隣りで笑っていたいから……。
だから……言うね。
「……私……1年の時からずっと……好きだったの……」
2年間の想いが、少しずつ溢れ出していくのを感じていた……。
――ど、どうしよう……鳴海君がいるよ。
ここを通らないと音楽室に行けないのに……。早く移動してくれないかな? ……こっちにきたら、もっと困るけど。
逃げ道ないから、どうすることもできないよ。
……でも、あと少しくらいなら、そばに行きたいな。
廊下の窓を開けて、何をしてるんだろう。ここからだとよくわからない……。
足元を冷たい風が通り抜けた。
……あっ……。
窓の枠に手を掛けると、鳴海君はひょいっと身軽にサッシを飛び越えた。
上履きのままなのに……外に行っちゃった……。
ガラガラっという窓の閉まる音が聞こえてきた。
――ど、どこに行くんだろう。
みつからないように身をかがめて、外の様子を眺めると、背中はもうだいぶ小さくなっていた。
そろそろお昼休み終わっちゃうのに……。
午後の授業に遅れちゃう。
向こうに何かあるのかな?
遠くを眺めてみても、なだらかな坂道が続いているのが見えるだけ。あのまま進んでも林しかない。
どこかへの近道っていうのも考えられないし……学園から出ていっちゃいそう……。
なんだろう……すごく気になる……。
私も行ってみようかな?
――だめ、だよね。こんなところから出るわけにもいかないし、上履きだし……それに、あとをつけるみたいでいけない。
……でも、どうしよう……すごく気になる。
いっちゃおうかな……。
……誰も、見てないし……う、ううん、だめだめ。あと少しでチャイム鳴っちゃうんだから。
でも、やっぱり……気になっちゃうよ。
だめだってわかってるのに、手が勝手に動いて……。
――ガラガラ……。
……大丈夫、だよね。少しくらいなら……。
誰も……見てない…………うんっ。
荷物を先に外に出して……思いっきり勢いをつけて。
……んっ…しょっと
……鳴海君は簡単に乗り越えちゃったけど、これって、すごくたいへん。
「……きゃっ」
――どてん!
うぅ、いたいよぉ。
やだっ、制服汚れちゃったかな? ここの制服、白いから汚いのがすごく目立つのに。かわいいから好きなんだけど、それがちょっと困るところ……。
――そうだっ、鳴海君っ! 気づかれてない、よね?
周りを見渡して見ても、誰も見当たらない。
それは……そっか。こんなところに人がいるなんて誰も……それに鳴海君はもうあんなに遠くに…………。
……あ、あれ? どこ行っちゃったんだろう。
そんなあ……。
最初から見失っちゃうなんて……私ってどうして、こうドジなんだろう。
どっちに行ったのかな?
うぅ……どうしよう。わからない……。
あきらめて戻ろうかな?
でも、せっかく痛い思いもしたんだから。ここで引き返すなんて……。
少し探してみよう。さっき見たときは林のほうに行ったから、そっちに行けばみつかるはず。
チューリップの植えられた花壇を抜けると、林の中に消える白い影が見えた。
――あっ、あそこにいるの……鳴海君だ!
木々の隙間にチラチラと見えていた背中は、やがてまったく見えなくなった。
行っちゃった……。
今日は火曜日だから、みんな午後まで授業はあるはず。
どうするつもりなんだろう。チャイムまであんまり時間ないのに……。
……どうしようかな。戻らないといけないのに、鳴海君がどこに行くのか知りたい。
時間は……あと少しぐらいなら大丈夫かな……。
うん、もうちょっとだけ、行ってみよう。
校舎の影から出ると、南の空にあがった太陽がまぶしくて、ぽかぽかしてあたたかい。
でも、対照的に林の入り口はどこかおどろおどろしくて、童話に出てくる魔女の森を想像させた。
この先に何があるのか、私は知らない。
だけど鳴海君は知ってるんだ……。だから奥に進んでいった。
…………私も知りたい!
道標にするパンくずも、麻糸の玉もないけど、こ、怖くなんかないよっ。
林の中はひんやりとしていて、肌寒かった。
なだらかな上り坂が続いている。
ずーっと上まであるんだあ……。道を目で追うと、その奥にひときわ明るい場所が見えた。
急ぎ足で向かう……そこには草の絨毯が広がっていた。
怖いのは入り口だけだったんだ。中は案外開けていて、あたたかな陽射しも差し込んでくる。
色とりどりの花々が輝いていた。
――こんなところ、あったんだ……。
森の十二の月の精が大晦日にお祭りをするのは、こんな場所なのかもしれない。
……ちょっと狭いかな。
透き通った青空といっしょに眺めると、すっごく綺麗。
――ここを歩いてもいいのかな。
道とも言えない道が、更に奥まで続いている。
踏んじゃうの……かわいそうだし、なんかもったいない。
けど、鳴海君はここを上がっていったんだよね……。
……ここまで来たんだから、行こう。
足に地面の軟らかさが伝わってきた。
なだらかな坂がちょっとだけ続いている。
学園だって、頂上にあるのに……それより高い場所ってあったんだ。
……ふぅ、しんどいよ。
あと少しだから、がんばろう。
でも、なんだろう、この感じ。
悪いことしてるのに、ちょっとうれしいって思ってる。
すごくどきどきするけど、これはいやなどきどきじゃない……。
顔を上げると木々の向こうに、1本の大きな樹が見えた。
出口だ。もうちょっとだ、頑張ろう!
よいしょ……よいしょ……。
木々の終わり……それは陽射しの始まりだった。
何ものにも遮られない太陽の光が、私の全身を遠慮無く包み込む。
白光りする視界。大きな草の広場と、その中心にそびえる1本の大きな樹。
そしてその向こうには、広い空と青く霞がかった街の景色が広がっていた。
――すご〜い。絵本の中の風景みたい。本当にあるんだ……こういうの。
さっきからそんなことばかり。でも驚きだよ。
こんな身近なところに、あったんだ……。
もっと近くに行ってみたい。
……あ、あれ? 鳴海君がいない。どこだろう……。
うぅ、どうしよう。樹のそばまで行きたいけど、鳴海君にみつかったら困るし、時間もない……。
――でも、あそこまで行ってみたい。
あの幹に触れてみたい……。
そこからの景色を見てみたい。
絵本の中にしかないって思ってた場所があったんだから、きっと景色も綺麗なんだろうな……。
林の入り口をくぐってから、私は現実じゃない世界に足を踏み入れたんじゃないかと思う。
魔女の森、妖精がお祭りをする広場、そしてそして……ここは……なにかいい例えはないかなあ……。
誘惑に勝てなくて、足が1歩また1歩と進んでしまう。
鳴海君もいないみたいだし……うん、大丈夫。
――いってみよう。
なだらかな坂道を少しずつ進んでいく。遠くから見ても大きかった樹が、すごく大きく見えてきた。
――あと少し……。
訳もなくどきどきしてきた。ぎゅ〜って教科書を両腕で抱いていた。
急いだつもりはなかったのに、息が切れて……。
最後の1歩を大切に踏み出す。
――わあ……。
小高い丘の頂上にたどり着くと、涼しい風が吹いた。
視線を下ろすと、一瞬にして視界が広がった。
――きれ〜……。
私の住んでいる町の全部を見渡せた。あっちには橘町の青い海が広がって、向こうには欅町(けやきちょう)の白い砂浜がどこまでも続いている。
――すご〜い……。
綺麗で、小さくて、かわいくて……やさしい感じのする風景。
よく知ってる場所を、こんな風に見ることができるなんて。
吸い込まれてしまいそう。
気持ちいい。こんなのはじめて……。
すぐそばに、宝物はあったのに気がつかなかったんだ。
もっと前に知りたかった……。
でも、こうして出遭うことができて、ほんとによかったぁ。
――すごい、すごいよ、ほんと。
――キーンコーン、カーンコーン……。
……や、やだっ、どうしようっ!
授業始まっちゃった。
今から戻っても……うぅ、間に合わない。
でも、いかなきゃ!
なんて言い訳すればいいかな……あっ!
――どさっ。
いった〜い……もう――
「ん? ……慎二か?」
――!!
……どっ、どうしよう……鳴海君だっ!!
樹の陰になって見えなかっただけで、すごく近くにいたんだ。
みつかっちゃうよ。音、立てないようにしないと……。
でも、早く戻らないと、先生に怒られちゃう。
うぅ……どうしよう……。
「……ふう」
今思い出しても、どきどきする……。
――あのとき、けっきょく、さぼっちゃったんだよね。
授業さぼるのはじめてだったから、すごく緊張して、でもなんだか、少しだけうれしかった。
……だって、鳴海君の秘密の場所を知ることができたんだから……。
うれしいに決まってる。
幹に触れると、少しだけ冷たかった。
夕陽に赤く染まった景色は、ちょっと寂しく見える。
――もう、あれからずいぶん経ったんだ……。
町の色は変わったけど……私は少しも前に進めてない。
ここから鳴海君と同じ風景を見ることしかできない。
――好きです。
言えるはずないよ……。
心の中で言うのだって、こんなにどきどきするのに……。
鳴海君になんて……絶対にむり……。
「……好き」
うぅ……すっごく恥ずかしい。
どうしてこんなに緊張するんだろう。
「私……」
……だめって思ったら、ずっとこのままなんだから。
がんばらないと……。
「な、鳴海君のこと…………」
……やっぱり、この先は言えない……。
どきどきが止まらない。はぁ〜……これじゃ、告白なんて、無理だよね。目の前に鳴海君がいるって思うだけで……それだけで、言葉が出なくなっちゃうんだから。
何も言えなくなっちゃう。
どうすることもできないのかな。
ずっと、遠くで見てるしか……。
お話したり、一緒に帰ったり、お弁当食べたり……できないのかな。
――私じゃ、むりだよね……。
告白できても……断られるだろうし……。
鳴海君に迷惑だよ。
「はるかぁ〜っ!」
……あれ? 水月? ……あ! やだぁ、私、約束があったんだ。
言い出したの私なのに。
――でも、どうしよう。やめようかな。
水月にも迷惑だよね……。
「ごっめ〜ん。顧問に掴まっちゃってさ」
「う、ううん。私のほうこそ……ごめん」
場所は正門の前だったのに……。
約束の時間までちょっとあったから寄り道して……。
でも、とっくに過ぎてたんだ。
ここにくるときはいつもそう。気がつくと、たくさん時間が進んでる。
「それじゃ、お互い様ってことでね」
「うん」
「じゃ、帰ろっか」
「あ……うん……」
「なに? どしたの?」
1歩先を歩き出した水月が、足を止めて振り向いた。
「う、うん……」
「はっは〜ん……」
「な、なに?」
水月の目がじと〜って私を見てる。
「聞きたいんでしょ?」
「……え?」
「ハ・ナ・シ。で、今度は鳴海君の何が聞きたいって?」
――え?
「うふふ〜ん、とぼけたってダメだよ遙ぁ。顔に書いてるもんね」
あ……。
胸から首筋、そして頬が一瞬にして熱くなるのがわかった。
きっと私、顔真っ赤なんだろうな。こんなんじゃ、水月にばれちゃう。
「そうだなあ……いい機会だし、今日こそはいい加減ハッキリさせてもらおうかな」
「な、何を……?」
…………。
あ、さっきよりも水月の目がにやけてる。
嫌な予感がする……水月がこんな目をするときは……。
「さあ、白状しなさいっ! アンタ、鳴海君のこと…………好きなんでしょっ!?」
「きゃっ!」
水月の腕が私の顔を引き寄せた。
「えええええっっ!!? ど、どうしてっ!? 何でわかったの!?」
――あっ!
「あ、やっぱりそっかあ……そうなんだあ……」
あ、あ、あ……あの……その……えっと……。
言っちゃ……った……。
「耳たぶまで真っ赤にしちゃって、可愛いなあもうまったくー! よしよしそっかそっか」
水月はひとり納得したようで、嬉しそうな顔をしてる。
ううう……心の準備も何にもなしでこれは酷いよ〜。
そ、そりゃいつかはちゃんと言わなくちゃって思ってたけど。
「で? 彼のどこがいいの?」
「そ、それは……」
「そもそもいつから?」
興味津々な目で、矢継ぎ早に質問が浴びせられる。
「ほらほら、全部言っちゃえば楽になるよ?」
水月ってば、ドラマの見過ぎだよぉ。
そう簡単に楽になんか…………楽になんか……なるのかな?
今までも、何も知らなくても、水月は私の頼みを聞いて鳴海君のことを色々と教えてくれた。
これからは、もっといろんなことを教えてくれるかもしれない。
それに、ここまで私に協力してくれた水月に、ちゃんと言わないのはとっても酷いことだと思う。
いつかは言おうと思っていたんだし……。
「全部言ってくれれば、今まで以上に力になれると思うんだけどなあ〜」
「う……うん」
だけど、やっぱり言うのは恥ずかしい。今まで、こんなこと誰にも言ったことないから……。
でも、こういうこと言えるのは水月しかいないし……。
「はあ〜悲しいなぁ〜、私じゃ遙の力になれないのか……」
「うっ……ず、ずるいよ」
「私なんかじゃだめなのね〜」
「そ、そんなことないよっ!!」
…………。
「……わ、笑わない?」
「うん、うん!」
「本当に?」
「約束する!」
「だ、誰にも言わない?」
「……私はそこまで信用ないか……かなしいなぁ〜」
「ち、違う。そういうんじゃないの……」
すごく恐くて、不安で……だから、いろいろ言っちゃって……。
でも、いろんなこと考えて、それで水月になら話してもいいって思えたんだから。
いいんだよね……私、話しても。
水月ならちゃんと聞いてくれるよね。
「……私……ね」
「うん」
――どうしよう。またどきどきしてきた。
でも、話そうって決めたんだから、ちゃんと最後まで言わないと……。
それに、同じ景色を見ているだけは、もういやだから。
「私ね……」
「うん」
お話もしてみたいから……。
近くにいたいから……。
「……私」
笑顔を向けて欲しいから……。
いつか、隣りで笑っていたいから……。
だから……言うね。
「……私……1年の時からずっと……好きだったの……」
2年間の想いが、少しずつ溢れ出していくのを感じていた……。